「秋分の日」の「お彼岸」にはおはぎを食べよう

リンちゃん、「秋分の日」っていったい何なの?
祝日になって休みになってるのはいいんだけどさぁ、そんなに大切なものなの?

「秋分の日」ってのはね、簡単に言ったら昼と夜の時間が同じになる日なんだよ!

ふうーん、 でもどうして「祝日」にするの?別に昼と夜が同じってだけなんだよね?

うーん、そうだよね
実は私もそう思って調べてみたのね
そしたら分かったの。でも、カウちゃんには、ちょっと難しくて分かんないかなー
(笑)

バカにすなー!もう!

あー、ゴメンゴメン(ツイホンネガ)
じゃー、話すね、簡単に言うと、この日って昔っから祝日で重要な日だったのね。それで、昔は「秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)」って言ってたのね。

で、その意味は・・・、皇室ってわかるかなー?

天皇家のことね、それでそこで重要な宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)が行われていて、その日は歴代の天皇、皇后や皇族の御霊を祀る儀式が執り行われていたってことだったらしいの。

だからその名残でいまでも祝日になっているってことなんだそうだよ。

ちなみに「秋分の日」には、国民は「 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ 」こととなっているよ。

ふうーん、わかった・・・

ほんとに?ほんとにわかったの?

わかったって!!
絶対絶対わ
かったのー!!

「秋分の日」の意味を理解しよう。

「太陽」と「地球の公転」の位置が深く関係している。

     図1 地球の公転イメージ

「秋分の日」には、一日の昼と夜の時間が同じになります(「春分の日」も同様です)。
ただ、実際は若干、昼の方が長いということです。

つまり、地球が太陽のまわりを廻っている「地球の公転」に深い関係を持っているのです。

左の「図1 公転イメージ」で見るとイメージし易いかと思います。
真ん中が「太陽」でその周りを廻っているのが「地球(地球儀)」です。

地球は廻っている時に、図1のように、南北の地軸が角度(23.4度)をつけて傾いたまま一周を一年として公転しています。

「太陽」は「地球」に向けて矢印のように常に「光」を放射しています。
したがって地球が公転していることにより、地球は太陽に対して傾いていますから、地上の一点から見た場合、太陽の高さに変化が生じます。

そして太陽からの「光」は「熱」でもあります。
ですから太陽の高さが高くなる時期には日の出から日没までの時間が長くなることにより気温も高くなり、逆に太陽が低くなる時期は昼の時間は短くなり気温が低くなります。
つまり地球の公転があることで気温も高くなったり低くなったりを繰り返しているのです。

これが、「四季」を作りだしているのです。

そして、その中間点の昼夜の時間が同じとなる地点が今回の「秋分の日」となるのです。

呼び名は「二十四節気(にじゅうしせっき)」の中の「秋分」からきている。

図2 二十四節気の各名称とそれぞれの月日
参考 国立国会図書館「日本の暦」ホームページより一部抜粋

「秋分の日」は二十四節気の中のひとつである「秋分」からきています。
二十四節気とは、一年間の太陽の黄道(地球を回っている太陽の見かけ上の通り道)を24等分して決められるその時期の名前の総称です。等分ですから、各15度ずつの期間に分割されています。
元々は中国で発達したもので、一年を季節ごとに分ける為に作られました。

図2に二十四節気の各名称と月日を示しました。月日に「頃」としているのは、その年により微妙に違ってくるからです。およそそれぞれ2~3日の幅があります。
見ていくと、よく聞くものとあまり聞いたことがないものとありますよね。
立春や夏至、冬至やそれから啓蟄などは2月に冬眠から覚める日などと言ってよく聞かれますよね。中には芒種など全然、縁がないような呼び方もあります。
この場合の「秋分」の意味は、「昼夜の割合が半分半分になる」というものです。

「秋分の日」の特定は国立天文台が決める「秋分日」を基準にしている

では「秋分の日」が何月何日というのは、どこで決めているのでしょうか。

「秋分の日」は国立天文台が前年に決める「秋分日」を元に決定することとなっています。
「秋分日」とは、太陽の黄道から秋分点の通過点の位置を割り出し、その通過の日をいいます。
この決定された「秋分日」が含まれた国立天文台の翌年分の「暦象年表」という小冊子に基づき、2月の第一平日付で出される「暦要項」により翌年の「秋分の日」が公告されて初めて「秋分の日」が決まることとなってます。
尚、この暦要綱の決定は閣議決定等はされない。

この「秋分の日」は1948年から「国民の祝日」となっています。
その趣旨は「祖先を敬い、亡くなった人々をしのぶ」となっていて、広く国民が一様に祖先を思い、敬う一日となっています。

「秋分の日」が「彼岸の中日」になった由来

「秋分の日」はお彼岸でもあり、昔から先祖を祀り、神社に参詣している習慣があり、皇族でも秋季皇霊祭が行われている日でした。

「秋分の日」は「彼岸の中日」ともいいます。

彼岸は7日間あり、「秋分の日」はその中日(なかび)で前と後に3日間ずつあって合計7日間ということになります。

そもそもお彼岸とはどんな意味なのでしょう?
お彼岸とは、元々は仏教用語で煩悩(迷いなど)を払った悟りの境地のことを言います。
「彼岸」という言葉の由来は、「三途の川」から来ています。
川には岸があちらとこちらのふたつありますが、三途の川では「あちら」が彼岸と言って極楽浄土を表し、「こちら」は此岸(しがん)と言ってこの世のことを表しています。
つまりあちらの彼岸は「悟り」を表し、悟りの世界、すなわち「極楽浄土」ということになるのです。

また何故、この時期が彼岸となったのはどうしてでしょうか?
それには、「秋分の日」の特徴が関係しています。

「秋分の日」は昼夜の時間が同じであるため、日没時は太陽が真西あります。極楽浄土は真西にあるという考え方があり、よって日没時に真西の太陽を向いて拝むことが、極楽浄土に対して拝むことと同じという意味となったのです。

現在では、西を向いて拝む慣習はあまりないのですが、法要やお墓参りなど先祖供養をこの「彼岸の中日」でもある「秋分の日」に行うようになったということです。

「秋分の日」には「お墓参り」をして、「おはぎ」をお供えしましょう。


さて「秋分の日」は本来、何をして過ごせばいいのでしょうか?
まず、「秋分の日」はお彼岸でもありますから、当然、この日の趣旨でもある先祖供養がキーワードです。

お墓参りをしましょう

いつもの仕事や家事や子育てをひとまず置いといて、祝日のこの日は身内の亡くなった方々を思い出したり、ご先祖様へ感謝し、ご家族でお墓参りをされたらどうでしょうか?
お墓掃除や静かな場所へ行けくだけでも、あなた自身の気分転換になるでしょう。
また、お出かけが無理ならせめて仏壇周りの清掃などもいかがかと思います。

定番のお仏壇に「おはぎ」をお供えをしましょう。

「おはぎ」とは
一般的には、もち米とうるち米を混ぜて、蒸すか炊いた米の粒が若干、残る程度に軽くつぶし、おにぎり状に丸めたものに、その周りを砂糖を混ぜて甘く煮た小豆の餡でくるんだものです。

昔、砂糖は非常に貴重なものでしたので、特別な時にしか使えなかったそうです。
「おはぎ」は、この「秋分の日」にはお供え物として、筆頭の定番になっている食べ物です。

では何故、この「秋分の日」に「おはぎ」をお供えするようになったのでしょうか?
「おはぎ」に使われる小豆は昔から赤い色が邪気を払うと信じられていて、魔除けの為に用いられていました。

その小豆と合わせて、その昔、日常めったに用いられてなかった貴重な食品である砂糖を使って、「おはぎ」を作り、魔除けとして先祖供養の為のお供え物とするようになったと言われています。

現代では、砂糖も小豆も貴重でもなんでもなく、普通に使用されていますが、その当時は非常に貴重なものと認識されている中で使われていたということは、「秋分の日」である「彼岸の中日」という日が、如何に特別な日であったのかが伺えますよね。

今度、「おはぎ」を食べる機会があったら、それを思い出して味わって食べてみて下さいね。

「秋分の日」と「敬老の日」とシルバーウィークの関係。

その年のカレンダーの並びによっては9月に「秋分の日」が含まれた「シルバーウィーク」という最大5連休が出現することがあります。

4月から5月にかけて10連休もの連休が出現することもあるゴールデンウィークには及びませんが、その年によってはゴールデンウィークと並んで2大連休となることもあります。

その要因として、
1、「敬老の日」と「秋分の日」の二つの近接した「国民の祝日」がある。
2、「敬老の日」はハッピーマンデーで第3月曜日に設定されている。
3、「秋分の日」は「秋分日」を国立天文台が特定して発表する日次第で変動します。

ただ、明治時代以来「秋分の日」はほとんどが9月23日です。
直近で変わったのは、1979年に9月24日と2012年に9月22日に変わりました。
2012年以降では2016年の年に9月22日となりました。

ちなみに下の図3では近年16年間の変動を表で示してみました。
ほとんどの年で「秋分の日」は9月23日となっているのがわかります。
日付が違うのは黄色アミで示している9月22日で近年の16年間で4回だけです。

以上がこの三つがシルバーウィークが出現する要因となります。

年ごとに違う「秋分の日」の日付を16年間分を一覧にしました。
図3「秋分の日」の日付

さて、本題ですが、
上記三つの要因から出現する連休の並びを下の4図に示しています。

シルバーウィークのカレンダー上の並びの画像
図4 シルバーウィーク時のカレンダー上での並び

このカレンダー上での並びは、図の上部に示しているように、近年では2015年と2026年にしか現れません。
この2つの年のいずれも同じ並びです。
この5連休(土日が休みの場合)が9月のカレンダーでは最大となります。
まず、
19日が土曜日で休日(職場などで土曜日が休日の場合のみ)
20日が日曜日で休日
21日が「敬老の日」でハッピーマンデー(第3月曜日)
22日が休日となっているのは、祝日法で祝日と祝日の間に1日間開いている場合はその日も自動的に休日になることと定めらているもの
23日は「秋分の日」
ということで合計5連休となります。

2026年以降もこういった5連休は出現しますが、上記の要因が上手く重なって出来るものですので、なかなかゴールデンウィークみたいに頻繁にとはいかないようです。

しかし、このシルバーウィークは「休日をもっと増やす」という国の施策によるものであり、今後も増えてくることが予想されます。

「秋分の日」のイベント情報!

「秋分の日」は「彼岸の中日」ですので昔から秋季皇霊祭など行わていて、宗教的な儀式など盛んに行われていました。
代表的な祭りやイベントをいくつかご紹介します。

伊勢神宮 秋の神楽祭

伊勢神宮の神楽祭

伊勢神宮では毎年、様々な神事や祭事がおこなわれます。
神楽祭もそのひとつで毎年、9月22日~24日の「秋分の日」をメインに三重県伊勢市の伊勢神宮の内宮において開催。

昭和20年代の初めから開催されていて、伊勢神宮のご神徳を宣掲するとともに、雅楽を広く公開することを目的をしています。

屋外にも特設舞台が作られ、奉納舞台で各種の伝統芸能がいろいろな衣装で美しい舞いなどが楽しめます。
ちなみに、春は4月のゴールデンウィーク近辺で行われています。

お問い合わせ 電話0596-24-1111 神宮司庁

京都 晴明祭(清明神社)

清明神社の鳥居

開催 9月22日・9月23日(秋分日)
京都市上京区晴明町

平安時代の天文学者というよりも、陰陽師としての安倍晴明公をご存知の方が多いのではないでしょうか?

その方を祀られているのが、この清明神社です。
晴明祭は9月の「秋分の日」前夜から当日の2日間で行われるお祭りです。

「御神楽」、「ちびっこお迎え提灯行列」や当日には祭儀が執り行われ、露天も並び全国各地から訪れる人も多く、大変なにぎわいになります。

お問い合わせ 晴明神社 

千葉 大原はだか祭り

大原はだか祭り

開催 9月23日・24日
千葉県いすみ市

その名称から想像される「大原はだか祭り」は、まさしく勇ましく、雄々しい人々が、十数基の神輿を担いで、海へ向かい、そして各神輿がもみ合い、海を駆け、最後にはその神輿が海へと投げ入れられますなどなど、まさに見どころいっぱいの勇壮なお祭りです。
このお祭りは、もともと五穀豊穣や大漁祈願を祈って行われ、古くはおよそ160年前から受け継がれており、いまでもこの地区の一大イベントなっています。
開催時に千葉県内はもちろん、県外からも多数の見物客も訪れるということです。

お問い合わせ いすみ市役所 観光課

福岡県大宰府市 神幸式大祭

太宰府天満宮

開催日 「秋分の日」の前々日(通常9月21日)~当日(同じく9月23日)~翌々日(同じく9月25日)まで
福岡県太宰府市 大宰府天満宮

太宰府天満宮は学問の神様として知られる菅原道真公が祀られている神社です。
この神幸式大祭は太宰府天満宮で最も重要なお祭りとなっています。
その趣旨は菅原道真公の御神霊(おみたま)をお慰みすることと、皇室の御安泰と国家の平安と、さらに五穀豊穣に感謝することとしています。

お祭りは本殿での「出御祭」が斎行されたのちに、道真公の御神霊を乗せたお神輿が500人の奉仕の人々を従えて、行列を敢行するなどして、5日間の日程が斎行されることとなってます。

期間中はその他の場所でも神楽太鼓奉納なども行われ、県内県外から訪れて、大変なにぎわいを見せます。

お問い合わせ 大宰府天満宮 092-922-8225(9時~17時)

海外の「秋分の日」には「祝日」になっているのか?また英語では何と言うの?

日本では「秋分の日」は昼と夜の時間が一日の中で同じ時間になり、また「彼岸の中日」として先祖供養をする日であり、さらに「国民の祝日」として定着しています。

では、海外ではこの日はなにか風習や行事が行われているのかを調べてみました。
まず、この日を祝日としている国があるのかを調べてみました。

結果は残念ながらその日が「祝日」としている国は皆無でした。

ちなみに「秋分の日」は英語では
Autumn equinox dayといいます。

Autumnは秋、equinoxは分点、dayは日ですね。

ここで、このまま「海外には祝日は皆無でした」で終わっては申し訳ないですから、「秋分の日」と「春分の日」に関する海外の1つの遺跡をご紹介したいと思います。(すでにご存知の方は飛ばして下さい)

「秋分の日」に出現するマヤ文明の「ククルカンの降臨」

アメリカ大陸のメキシコのユカタン半島に大陸3大文明の1つでマヤ文明はご存知ですね。
ここに、「チェチェン・イツァ」というマヤの遺跡があります。

その中に「エスカスティージョ」というマヤ文明の最高傑作とも言われているピラミッドの形をした神殿があるのです。

この神殿に於いて「ククルカンの降臨」と言う神秘的な現象を見ることが出来るというのです。

その現象は一年に2回だけしか見ることはできません。
その日が、実は「春分の日」と「秋分の日」なんです。

どんな現象かというと、
まずその遺跡はピラミッドの形をしてますから、四方の斜めになっている4つのそれぞれの壁の真ん中に幅がある91段の階段が作られています。

その一つの北の階段の最下段の両端に「ククルカン」の頭部だけが彫刻されています。
「ククルカン」とは羽毛のある蛇の姿をした創造神のことです。

エスカティージョの「ククルカンの降臨」の写真
エスカティージョの「ククルカンの降臨」  ※黄色の線と文字は筆者

そして、そこで「春分の日」と「秋分の日」の2日間の夕方にその現象が起こるのです。

その日の夕方、太陽が西に傾いた時に、ピラミッドの影と太陽の光の組み合わせにより、その蛇の頭部(ククルカン)からピラミッド伝いに斜め上に、まるで蛇の胴体のようなものが映し出されるのです。

それはまさしく「降臨」、を想像させる光景なのです。
これが、「創造神ククルカンの降臨」と言われるものなのです。

3月の「春分の日」と9月の「秋分の日」の2日間は、それを見ようと各地から大勢の人々が集まっていますので、その「ククルカンの降臨」が現れた時は大歓声が起きます。

この神殿はマヤ人が暦がなかったその時代に、農作物の植える時期などを知るために作られたと言われています。

メキシコのこの地では一年の中で、一大イベントになっていて、これを見ようと世界中から訪れているということです。

因みに言葉では分かりにくいかなと思いましたので、「YouTube」の動画がありましたので、ご覧ください。(若干、画質が荒いです。)

まとめ

ここまで書いてきたこと
1、地球の公転と太陽が深く関わっていること
2、一年の各季節ごとに二十四の呼び名があり、その中の1つであること。
3、「秋分日」は国立天文台が太陽の黄道上にある一点から割り出していること。そして、そこから「秋分の日」の日付が決まっていくこと。
4、「秋分の日」と「彼岸の中日」との関係。
5、「秋分の日」にどう過ごせばいいのか。
6、「国民の祝日」である「秋分の日」が「敬老の日」と隣接している為、そのカレンダーの配置によっては長い連休が出現すること。
などなど書いてまいりました。

どうでしたでしょうか?
ご理解いただけたでしょうか?

分かり難い表現やつたない文章力で申し訳ありません。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。