「十五夜(中秋の名月)」には「お月見」をしよう

ねえ、リンちゃん
十五夜ってさぁー、毎年9月の15日の夜にお月見するんだよね?今度、お月見しようか?

えーッ、ちがうよ!9月の15日じゃないよ!

えッ、だって十五夜っていうのは、15日の夜ってことじゃないの?

ちがう!ちがう!
十五夜っていうのは、9月の15日じゃないんだよ!

じゃ、いつ?どうしてちがうの?

カウちゃんが言ってる15日っていうのは、間違ってはいないんだけど、「旧暦」の15日ってことなんだよ!
わかる?と言ったって、分かるわけないよね
じゃあさー、ここに「旧暦」のこととか十五夜のこととか、カウちゃんにわかるように優しく書いとくから読んで見て!

読んだら、ぼくとお月見してくれる?

うーん、考えとく(笑)

現代は天体としての「月」にロケットで行き、人が月面に立つような時代になりましたが、それでも夜空に浮かぶ美しい「月」を見れば、神秘的で神々しく不思議な存在であり続けています。

そんな「月」の存在を崇めたくなる心理は誰も否定しないでしょう。
その証拠に「月」にはいろんな伝説が世界中に生まれています。

それだけ人間にとってなにかしらの神秘的なものを感じとっているのでしょうね。
日本でも「月」を崇めることの代表的な風習である「十五夜」や「お月見」の歴史や関連したことがらについて書いてみました。
どうぞ、お読み下さい。

「十五夜」の始まりと歴史

縄文時代から月を愛でる慣習はあった


現代の「十五夜」に月を愛(め)でることを目的とした「お月見」という慣習の起源は遠い昔、縄文時代から存在していたと考えられています。

「お月見」という形としては同じではなくとも、「月」を愛(め)でる慣習は中国や日本でもあり、アジアでもあり、さらに世界中であったと容易に想像されます。

縄文から近代までは電灯もない、冷暖房もない時代でしたので、昼は太陽、夜は月が自然の灯として、人々の生活に密着したものとして、崇められるのは当然のことであり、それにまつわる風習があるのも当然と言えば当然と言えます。

そんな中で日本は、「十五夜のお月見」と言う風習がどんな形で現代まで繋がっているのでしょうか?

「十五夜のお月見」は中国が始まり?

前述した通り、月を愛(め)でる慣習は日本の縄文時代から存在していました。

しかし、その頃は月を愛(め)でる日は、特別に決めてやっているのではなかったのです。
当時は暦すらなかったと思われますので、当然といえば当然かもしれません。
名月の日に「月」を鑑賞して愛(め)でることを始めたのは、中国の唐の時代からではないかと考えられています。

その頃の中国での「お月見」の風習は町を挙げての夜通しの宴が催されていたということ。
宋の時代に書かれていた書物にその様子が描かれていたということです。

日本にお月見の風習が伝わったのはいつ?

さて、その名月の日に「お月見」が行われていた風習が日本へ伝わったのは、その中国の書物が書かれていた宋の時代より前の唐の時代の9世紀半ば(平安時代)に日本の貴族社会へと伝わりました。

それから日本に伝わった「お月見」は貴族社会のみで進化し、詩歌や管弦などを用いて、規模も大きくなっていきました。

程なくして、旧暦「八月十五夜」の日にだけで行われていた「お月見」が日本独自で翌月の「九月十三夜」にも催されることになっていったのです。

その後、鎌倉時代を経て室町時代に入り、大規模な遊宴は次第に簡素になってきましたが、室町後期には現在の風習にもあるお供え物をして月を拝むようになって静かな風習として変化していきました。

その頃は、「お月見」まだまだ貴族社会だけの風習としてであり、庶民に縁遠いものでした。
それが、やっと庶民にも浸透し始めたのは、戦国の世が過ぎて穏やかな時代に入った江戸時代に入ってからです

ですが、現在の定番である月見団子のお供えして月を愛でるという風習はまだなく、当時は里芋をお供えていました。

なぜ里芋なのか?
それは中国でも日本でも、各地で旧暦8月15日前後には里芋の収穫祭が行われており、それと時期が合った結果、「十五夜の月見」で里芋をお供えをする風習が定着していたということなのです。

そしてついにお団子が「お月見」でお供えになるのは、江戸中期以降になってから初めて里芋から変わり、月見団子が定番として現在に至っっているということになるのです。

「十五夜」にはどんなことをするの?

まずは月見台を決めましょう

「十五夜」には「観月」、つまり「お月見」です。
まず「お月見」をする上で必要な月見台という場所を用意します。
つまり月を眺められる場所及びお供えものをする場所を決めます。
よく絵や写真などで出てくるのは縁側ですね。
それがあれば勿論、最適なのですが、しかし縁側などというものは、現代では田舎の古い民家でしか見かけなくなりました。
ですから、縁側がなければ出窓や窓辺にテーブルなどで代用します。
もし、それも不可能か「月」が見にくいのであれば、庭やベランダでもいいでしょう。

お供え物はどんなものがいいの?

お供え物をする由来は、「月」を愛でることにもありますが、元々は
先にもお話しした通り、昔は収穫祭の時期でもありましたので、その感謝の意味を込めてお供えをするものです。
ですから、「お月見」をする時は感謝の心をもって「月」を愛でましょう。

○月見団子
現在ではお月見にはなくてはならないアイテムのひとつですね。
月見団子のお供えする意味は丸い形が満月と同じように健康や幸福を表しています
月見団子は現在では地方によって、作り方や呼び名も様々なものがあります。
定番は米粉を丸めたものですが、丸めたお団子のまわりにあんを帯状に巻いたものや、サトイモの形をしたもの、へその形や、櫛団子などなど地方によって原料が違ったりしたものもあります。

月見団子の数は?

実際にお団子は飾るのは何個と決まっているのでしょうか?
これには2つの説があります。

1つ目はその年の「満月の数をお供えする」こと。通常は12か月ですから12個、閏(うるう)年は13個ということになる場合。
2つ目は中秋の名月の十五夜には15個と言う具合に、「新月から数えてから何夜目」でその数を決めるものです。ですから9月13夜だと13個というこですね。

お団子を乗せる器は?
月見団子をお供えする器ですが、よく月見のお供えしている写真では、「三方」という器でベースが立方体でその上にそれより広い器が乗っているものが写ってますが、本来であれば、これがいいのですが、ないのであればお盆やお皿の代用でもOKです。

○ススキ
本来、ススキは稲穂(お米)の代用だったのです。
稲をお供えにしたかったのですが、旧暦8月(新暦9月から10月前半)では、まだ稲穂が付いてない状態ですのでススキで代用したと考えられています。

また、ススキは茎の中が空洞で神様の宿り場になるということで、神様の依り代(よりしろ:神霊が依り付く対象物)と昔から考えられていました。

さらにススキは長い茎の切り口が鋭く、作物への天候などでの災いを防ぐ魔除けとなるということで、豊作を願う意味でも飾るようになったいうことです。

その証拠に魔除けとしてのススキは普段から多くの軒先に束で沢山吊るされていたというこです。

○その他のお供え物
その他のお供え物では、その季節の旬の野菜や果物、お酒や水などお供えして下さい。

とにかく、元々月見は収穫祭の為の儀式ですから、自分がここにある感謝を心掛けて、いろいろな物をお供えをして行なって下さい。

「お月見」 は「十五夜」だけはなかった

「十五夜」と「お月見」は同義語のように扱われていますが、しかし「お月見」は意外にも他の日にも行われています
「十五夜の始まりと歴史」の項目でも書いてますが、ひとつは俗に十三夜と言って旧暦「九月十三夜」とそれともうひとつ「十月十夜」です。

(その前に)「旧暦」って何?

ここまで読まれてきて頻繁に「旧暦」と言う文字が出てきていて、頭の中で引っ掛かっていてしまって、「旧暦」ってなんだ??って思ってませんでしたか?

今の暦で書けばいいじゃん!なんて思ってませんでしたか?
しかし、それが出来ないのです。
なぜでしょうか?

旧暦」は月の満ち欠けを基本としています。
簡単に言えば、新月から新月の期間(29日間か30日間)を1ヶ月としています。

ですので同じ日付では、旧暦と1ヶ月を30日間か31日間(2月は28日又は29日)としている新暦とでは、どんどんズレてきてしまうのです

しかも旧暦では一年雄ずれをを補うために、何年か一回に「閏月(うるうづき)」を設けて1ヶ月増やす仕組みになっているのです。
ですから、旧暦と新暦が同じ日付でも同じ日ではないということなのです。
結局、「(八月)十五夜」も今の新暦とは毎年まちまちになってしまいますから、旧暦で表現する必要があるのです。

旧暦とは?

そこで、「十五夜」とは話が反れますが、簡単に「旧暦」というのは何かを説明したいと思います。

実は「旧暦」というのは、「読んで字の如し」、現在使われている現在の暦(こよみ)の前に使われていた暦(こよみ)なのです。つまり、カレンダーですね。

旧暦が使われたいのは明治6年までです。今から約150年前ですね。

旧暦」正式には「天保歴(てんぽうれき)」と言います。
因みに現在の新暦は「太陽暦」といいます。

この「天保暦(旧暦)」と「太陽暦」との違いは、簡単に言うと「前者」は月の満ち欠け(ひと月単位)を基準に作られてた暦で、「後者」は地球が太陽の周りを一周する時間を365日(一年単位)を基準としています。

新暦は「地球の公転」を基準にしていますが、まだその前の「地球の公転」の概念もなかった時代では、月の「満ち欠け」を基準とすることが一番、より正確に一年を測る上では分かりやすかったのです。

旧暦の1年の始まりは太陽暦(新暦)の2月1日からです。
ですから左図でも分かるように旧暦の方が約1か月ほど遅れています。

旧暦では1か月が平均29.5日(新月から新月の日数)となっていますので、便宜上、一ヶ月が29日間の小の月と30日間の大の月を6ヶ月交互に設けています。そうすると一年間は354日になります

すると、一年間354日とした場合、太陽暦の365日を基準とすると、年が経つにつれて、日にちとそれから季節もずれていくことになります。

そこで、それを補うために約7年に一度程度、閏(うるう)月というものを入れて修正していました。入れる箇所はその月の運行度合いでその都度、決めていました。

結局、旧暦というのはこのように一定ではなく、変動幅が大きいため、太陽暦と照合してみた場合、毎年同じ日付にはならないのです。

新暦から見た旧暦の考え方としては
・常に日付が30日前後~50日前後にずれること。(新暦が9月の日付であれば、旧暦は7月下旬か8月か9月)
・毎年のズレの日にちが一定にはならないこと。

新暦と旧暦の併載されている毎年のカレンダーで確認してみて下さい。

さてここからは「八月十五夜」を始め「九月十三夜」、「十月十日夜の月」などについてご説明します。

「八月十五夜(芋の名月)」の由来

八月十五夜」は一般的に使われる「十五夜」と同義語です。

「旧暦の8月15日から16日の夜まで」のことを指します。
旧暦の8月15日は新暦では主に9月の半ばから10月初旬(その年によって異なります)のことを指し、この日の夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」といいます。

因みに「中秋の名月」の「中」の文字に「にんべん」がついた表現で「仲秋の名月」というのがありますが読み方は同じですが、同じ意味ではなく、こちらは旧暦でいう「旧暦の8月全体のこと」をいいます。

以前、旧暦での秋は7月~9月を言い、旧暦7月を「初秋」、9月を「晩秋」ということから、8月はそのまん中なので「仲秋の名月」と呼び、「8月全体の月」のことを指しています。

また「八月十五夜」は「芋の名月」とも言われ、先にも述べておりますが、中国やアジアや日本でも里芋の収穫祭と重なったことで里芋を食べて月を愛でていたということからそう言われるようになりました。

十五夜は新暦ではいつになるの?

※国立天文台「暦WiKi」より一部引用

先の『「旧暦」って何?』の項で新暦に対して旧暦は毎年新暦から見た場合、同じ日にはならないという事を説明しました。したがって「八月十五夜」も毎年、同じ日にはなりません。その変動幅は約1ヶ月間ほどの幅で変動します。
そこで左図に直近11年間の旧暦8月15日が新暦では何月何日になるのかを早見表で示しました。
よく見てみれば分かりますが、例えば、2019年の旧暦8月15日は新暦では、9月13日となるのに対して、2020年では10月1日となっています。18日間もの差があります。
この計算はいろんな要素を加味して計算されていますので、とても素人が正確に出来るものではありません。
どうぞ参考にしてみて下さい。

八月十五夜以外の月に関する風習

さて「月見」の風習は「八月十五夜」以外にもあります。
その代表的なのが、「九月十三夜」で日本独自に始まった風習です。
またその他では「十月十夜」というのもあります。(後述)

ちなみに、「月見」とは関係してませんが、その他の「月」に関する風習としては地域が限定されますが、八月十五夜以降の月の各月齢(月の満ち欠け)ごとの「月待」という風習があり、各月齢の夜に仲間で集まり、飲食をした後に月を拝んで、悪霊を追い払うという「月」への民間信仰があったという存在も知られています。

「九月十三夜」の由来

「九月十三夜」は旧暦9月13日から14日夜(新暦では10月半ばくらい)を指します
その日の月は八月十五夜の「中秋の名月」に対して「後(のち)の月」とも言われています。

また、八月十五夜の「芋の名月」に対して、豆や栗の旬の時期でもあったことから、「豆名月」や「栗名月」と呼ばれています。

また江戸時代の頃には「肩月見」と言って、8月の「十五夜」を行ない、9月の「十三夜」を行なわなかったら、縁起が悪いという迷信もあったということです。

「十月十夜」の由来

十月十夜というのもあります。

時期は旧暦10月10日のあたり「十日夜の月」と呼ばれ、その日の「月」は最初の「中秋の名月」、二番目の「後の月」の対して三番目なので「三の月」と呼ばれました。
そして、この「お月さま」がその年の最後の収穫を告げる「月」とされました。

お月見の名所

日本三大名月鑑賞地

日本三大名月鑑賞地はこの3カ所です。
・大覚寺大沢池(京都市)
・猿沢池(奈良市)
・大本山石山寺(滋賀県大津市)


○大覚寺大沢池(京都市)


大沢池は周囲1㎞の大きさの人口池です。
平安時代に大覚寺のそばに作られた日本最古の庭池で、「庭湖」とも言われています。
「中秋の名月」には2艘の船で池を一周しながら観月の夕べが行われます。夜に見上げる満月もさることながら、湖面に映し出される月もまた格別です。平安の世にもどったような優雅で高貴な気分を味わえるのではないでしょうか。

○猿沢池と采女祭り(奈良市)

猿沢池は周囲360mの人口池です。
采女祭りは「中秋の名月」の日に行われています。
采女祭りの由来は、まだ奈良に都があった当時、そこに使えていた采女が帝の寵愛を受けられなくなったのを、嘆いてこの猿沢池にみを投じたことからその霊を慰めることから始まったということです。
ちなみにそのそばに建立されている采女神社は、猿沢池に後ろ向きに立てられているそうです。
その身を投じた采女が、池を見たくないという理由から建てられてから一夜で、後ろ向きにしてしまったという伝説があります。
また、この猿沢池では七不思議と言うものがあり、
「澄まず」・・・水は澄むことがない。
「濁らず」・・・水は澄むことはないが、ひどく濁ることもない。
「出ず」・・・この池は人口池なので水の出口がないが、常に一定の量を保っている。
「入らず」・・・水の入りもないが、一定の量を保っている。
「蛙はわかず」・・・カメは大量にいるのに蛙の発生がない。
「藻は生えず」・・・藻は生えない。
「魚が七分に水三分」・・・定期的に多くの魚が放たれているが、魚でいっぱいになることはない。
とういことで変わらないということが言われているそうです。

また、この采女祭は
花扇奉納行列が奈良駅から采女神社まで練り歩き、春日大社で神事が行われ、猿沢池に2隻の管弦船を入れて、2周まわり花扇が池に投じられて祭りが終了するという一連の儀式が行われる。

○大本山石山寺(滋賀県大津市)

こちらは紫式部が「源氏物語」の構想を練ったと平安時代から名月の名所と言われるお寺です。

毎年、「中秋の名月」に合わせて「秋月祭」というお祭りがあります。
大量のグラスキャンドルや行灯でライトアップされるなど、荘厳な雰囲気に包まれる祭りが行われます。

詳しくは一般社団法人 石山観光協会へお尋ねください。

 

日本の有名な名月の里をご紹介

あなたの自宅付近でも月見で夜景がきれいなところも多いと思いますが、ここでは全国でもとくに夜景が有名な場所を紹介しましょう。
観月会やイベントも開催されているところもありますので、いっしょに「お月見」を楽しみましょう。

三大名月の里

まず全国でも有名な「三大名月の里」という場所をご紹介します。
○信州姨捨(長野県千曲市)
○石山寺(滋賀県大津市)
○桂浜(高知県高知市)

の3箇所です。

○信州姨捨

ここは昔から「名月の里」として有名な為、松尾芭蕉など多くの文人が訪れています地でもあります。
文化的価値を生かすために、棚田のライトアップやライブコンサートなど様々なイベントがおこなわれています。

期間は「中秋の名月」の日を中心に観月祭が毎年行われていますので、ご興味がある方は、「信州千曲観光局」に尋ねてみて下さい。  
詳しくは 信州千曲観光局

○大本山石山寺
こちらは三大名月鑑賞地すでに出ていますので割愛します。

○桂浜

「桂浜」と言えば幕末の英傑「坂本竜馬」の銅像でも有名なところですね。東側に横たわる広い太平洋に面した浜辺に坂本竜馬も「名月」を眺めていたのでしょうか。
あの浜辺に立って、雲の影で見え隠れする「月」を見るのも、また格別でしょうね。
こちらではイベント開催は毎年開催される予定ではありますが、詳細はこちらで尋ねられてみて下さい。  詳しくは高知観光協会

その他の「お月見」の名所・イベント

場所によっては観月会・イベント等が行われているところもあります。
毎年、開催されてない場合もありますので、関係施設等にお問い合わせの上、お出かけ下さい。

東北地方
○観欄亭(宮城県)
○西行戻しの松公園(宮城県)
○観欄亭「お月見の会」(宮城県)

関東地方
○九段坂(東京都)
○大宮八幡宮「十五夜の神遊び」(東京都)
○深大寺「十三夜の会」(東京都)
○向島百花園「月見の会」(東京都)
○八芳園(東京都)
○六本木ヒルズ「中秋の名月 観月会」(東京都)
○偕楽園「水戸の萩まつり 月見の会」(茨城県)
○池親水公園「月見の会」(茨城県)
○横浜三渓園(神奈川県)
○湯河原温泉「十五夜の宴」(神奈川県)

中部地方
○海津市月見の森(岐阜県)
○伊豆川温泉ムーンロード(静岡県)

近畿地方
○住吉神社(大阪府)
○上賀茂神社「加茂観月祭」(京都府)
○高台寺「観月茶会」(京都府)
○神泉苑「観月会」(京都府)
○下鴨神社「名月管弦祭」(京都府)
○姫路城「観月祭」(兵庫県)
○摩耶山掬星台(兵庫県)

中国地方
○三景園(広島県)
○広島城「観月会」(広島県)
○厳島神社(広島県)
○縮景園「観月茶会」
○岡山後楽園(岡山県)
○河原城「月見会」(鳥取県)
○岩国城「観月会」(山口県)

四国地方
○琴ヶ浜松原「観月の宴」(高知県)
○月見ヶ丘海浜公園(徳島県)
○眉山 花と鳥の展望広場(徳島県)
○光香園「観月会」(香川県)

九州地方
○福岡タワー「お月見イルミネーション」(福岡県)
○油山 片江展望台(福岡県)
○筑紫野祭「二日市温泉と天拝山観月会」(福岡県)
○皿倉山「皿倉山中秋のお月見会」(福岡県)
○西渓公園「お月見会」(佐賀県)
○岡城「お月見の会」(大分県)
○関崎海星館「中秋の名月観月祭」(大分県)
○吉野公園「十五夜マーケット・ミニコンサート」(鹿児島県)

沖縄地方
○首里城「中秋の宴」(沖縄県)
○雨乞獄(沖縄県)
○名護中央公園さくらの園(沖縄県)
以上が全国の主な「お月見」の名所です。

まとめ

「十五夜」についてここまで書いてきましたが、電気がない時代のまだ自然と密接に関係していた生活の昔の人にとっては、やはり「月」というのは今以上に神秘的なものなのだったのでしょうね。

『「十五夜」以外の月に関する風習』という項で書いてますが、「月」を崇める「月待」という風習が生まれています。

満月から新月に至る「満ち欠け」の過程は、人々には理解できない不可思議さというものがあったと思います。
否が応でも、何らかの思し召しというか恐れを感じさせるものだったのでしょうね。

「月待」という風習は明治時代に入り、急速になくなっていったそうですが、文明開化で電気が灯るようになり、夜間に外へ出る機会が自然と減ったことと、無関係ではないのでしょう。

現代では、夜間に戸外に出てさえも、ほとんどの人が空を見上げて「月」や「星」は見ていないのではないでしょうか?あなたはどうですか?

たまには、「十五夜」ではなくても、夜には戸外に出られて「月」や「星」を鑑賞されてみては如何でしょう。

「月」からの何らかの「メッセージ」を受け取ることが出来るかもしれませんよ。

最後までお読み頂きありがとうございました。